本ブログの移動に付きまして
本ブログは、
に移動いたしました。
(こちらにもたまに記事を書こうと思っています。)
ほとんど趣味で書いているようなブログで、見てくださっている素晴らしく優しい方々、是非こちらの方も見ていただけると幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
「不可逆な遊び」のすすめ
友達とカラオケに居酒屋、喫茶店....と毎日遊び疲れてはいないだろうか。
いきなりだが、タイトルの通りに
「不可逆な遊び」
というものをご紹介したい。
これは私が開発したものではあるが、遊ぶ相手がいないため、実践には至っていない。皆さんに紹介して、感想を伺いたいという運びなのである。
①不可逆とは?
ふかぎゃく
【不可逆】
《名ノナ》その状態に変化したら、もうもとの状態に戻らないこと。
「―(的)な化学反応」
▷ irreversible の訳語。
調べるとこう出てくる。
よくある説明だが、「コーヒーにミルクを入れる」という行為は不可逆な行為である。なぜなら、ミルクコーヒーからミルクとコーヒーには分離できないからである。
②「不可逆な遊び」
では、不可逆な遊びとは一体なんだろう?
それは、一度行ったが最後、もう元には戻らない、取り返しのつかない遊びである。ここで、月並みな遊び「カラオケ」を考えてみよう。カラオケは不可逆な遊びだろうか?そうではない。散々歌ったあと、我々に残るものは何一つない。ゆえに、
カラオケは可逆的な遊びである。
では、取り返しのつかない、恐ろしい闇の匂いがする、不可逆的な遊びをいくつかご紹介しよう。どれも考えてみるだけで楽しい。
できるものから友達とやってみよう!
例1)からあげにレモンをかける
一番簡単な例がこれである。コーヒーとミルクのように――からあげとレモンも、一度混ざってしまうともう取り返しがつかない。非常にリスクの高い、極めて不可逆な遊びだ。
例2)退店してみる
少し応用させた例である。カフェで、空いてる席を見つける。コーヒーを飲みながら、会話にも飽きる。そんなときにおすすめなのが、この「店から出る遊び」だ。
荷物を全部まとめて、試しに店から出てみよう。店から出たはいいが、あなたがたは行くあてもない――さっきの席は並んでいたカップルにすでに取られてしまっている...!そう、もう取り返しがつかないのだ。
この遊びは、カフェが混雑していて、席が空いていなければいないほど楽しくなる。
例3)帰宅してみる
さらに発展させた形だ。「次なにして遊ぶ?」となったときに、この「帰る遊び」を提案してみよう。まず、おしゃべりをしながら改札へ向かう。スムーズな遊びのために定期券はポケットから出しておこう。
そして、ためらいもなく
改札内へ向かう。電車に乗る。自宅の最寄り駅で降りる。帰宅する!
気がつけば、友人は近くにはいないはずである。この遊びのあと、すぐに次の遊びをすることはできない(例えば、2人が新宿に集合したあとすぐ「帰る遊び」でそれぞれ五反田、荻窪の自宅に帰り、そのあと二次会をすることは難しい)。そういった意味で、究極の「不可逆な遊び」と言えるかもしれない。
いかがだろうか?
例をあげればまだまだあるが、以上が「不可逆な遊び」のいくつかである。皆さんもお友達と、恋人と、早速やってみよう!
定時5分前になってミーティングを始めようとする人間を怒涛の比喩で断罪する
最近の会社での楽しみは、
定時まであと5分!というときに、
ミーティング始めます、出席お願いします
という声を聞くことです。(残業を減らそうとしているのに!)
毎日これを聞いた瞬間に、絶望と混乱、寂寥感と冬の訪れを感じ...頭の中を手でかき回されているような不条理の世界に突き落とされます。
私は自己啓発セミナーにも行ったことがないし、自己啓発本も読んだことはありませんから、ビジネスとして、定時5分前のミーティング開始をごちゃごちゃ言うのはやめておきます。議論にもなるし。
その代わり、25個の比喩をあげることでこの問題を考えてみます...定時後に何やってんだろ。
「定時5分前からミーティングを始めようとするのは、例えるなら、ちょうど....」
2.あと30分で出かけるというときにミートソースをじっくり煮込みはじめるようなもの
3.今夜が峠の人が27時間テレビを見始めるようなもの
大体わかるとおもいますが「速いもの」+「遅いもの」が基本形です。
4.カゲロウが保険会社を始めようとするようなもの
5.2語しか覚えられない人に3大珍味を覚えさせるようなもの
なんか違う気がします。
6.30分ノーカット番組でエベレスト登頂企画をするようなもの
7.しゃぼん玉が消える間に『失われた時を求めて』を読み終えようとするようなもの
もう辛くなりました。すでに8個目にしてセミが被ってます。
9.小学校入学前に20カ国語をすべてネイティブにさせようとするようなもの
10.剣道で、相手が面を打つ間に面と小手と胴全てを7回ずつ打とうとするようなもの
11.1日で夏休みの宿題を終わらせようとするようなもの
12.山梨で水信玄餅を買い、賞味期限が切れる前に東京へ帰ろうとするようなもの
水信玄餅の賞味期限は30分。おいしいです。
13.傘を捨てて、雨を反復横飛び的な動きで避けようとするようなもの
14.早口言葉を戦場カメラマンに言ってもらうようなもの
15.回転寿司でかき氷を流そうとするようなもの
17.あと2分で終電の人がちょっとトイレ行くようなもの
18.「お早めにお召し上がりください」のものを大事に食べるね!と言う人のようなもの
19.10分後に社長が座る椅子を綺麗にしようと思ってペンキを塗り替えるようなもの
20.「俳句を1首だけ読み上げる会」なのに会場を15時〜21時まで予約してしまうようなもの
22.土日の間に耳鼻科と内科に行ってしまおうとするようなもの
実体験です。病院が混みすぎていて行けなかっただけですが。
23.肺活量ゼロのひとが「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の、
水行末・雲来末・風来末、
喰う寝る処ところに住む処、
藪柑子の藪柑子、
パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、
シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの、長久命の長助」をランニングしながらひと息で言わせようとするようなもの
24.大便の間に小便をすませようとするようなもの
汚くてすみません....
25.雨上がりの空にかかった虹が消えてしまう前に、ほんとうの幸せを見つけようとして苦しむようなもの
最後はきれいでしたね!
何の話だったか忘れてしまいましたが、明日は会議を欠席して帰宅したいと思います。
「そもそも」を正しく使うのはテーブルクロス引きと同じくらい難しい
そもそも論の魔力
すぐ議論の中で「そもそも~」と言う人を見かけたことはないだろうか?
私の周りにそもそもいる。そもそもこの記事を書こうと思ったきっかけが、そもそもそういう人種を断罪せんがためであるから、そもそもこの記事は「そもそも」論の危険性を論じることになるだろうと思う。
さて・・・・・・突然ではあるが、
「そもそも」論はテーブルクロス引きくらい難しい。
しかも、テーブルクロス引きとちょうど同じだけ難しいのだ。
テーブルクロス引きをする男のイラスト。このあと闘牛を行い周囲を混乱に陥れる
・なぜテーブルクロス引きと同じだけ難しいのか
「そもそも」という言葉のそもそもの意味は、辞書で引くと色々出てくるが、ビジネスの議論の場で使うときには、間違いなく「最初は」とか「元来は」とかいう意味だと思う。例文を見てみよう。
A.「少子高齢化によって、年金制度はこれから見直しを求められるかもしれないね」
B.「そうだね。例えば定年を引き上げるとか、政府も対策を始めようとしているよ」
A.「それでもまだまだ対策は不十分だと思う」
C.「そもすっ、そもそも、なんで少子高齢化は進んでいるんだろう?」
例文のCが「そもそも論者」だ。ろくな使いかたをしていないが許してほしい。意図は伝わるはずだ。
テーマは「少子高齢化」。それが年金制度の話になった。「そもそも」を使って、会話をもとのテーマに戻したのである。
そもそも論者は御覧の通り、会話の途中で突然出てくる。これまで黙って「そもそもチャンス」を探していたから、間違いなく噛む。
で、これをテーブルクロス引きに当てはめると、こうだ。
テーブルクロス(=不純物)をうまく引き抜いて、机の上のもの(=本質)だけを残そうとする・・・・・・こんなのうまくいくだろうか?
ほとんどの場合・・・・本質まで粉々にしてしまう。
なぜならほとんどの場合、本質と不純物はそんなにきれいに分かれないのだ。テーマに完全に沿った議論など存在しない。ある程度の蛇行・試行錯誤を繰り返すのが自然な議論のはずである。「そもそも」という言葉で本質に立ち返った気になっている人、つまり何も考えず、理性の鎌で何でも切り取れば気が済むというのは、ただの自己満足にすぎないのだ!
↓「そもそも」によって粉々にされた議論
では、「そもそも」テーブルクロス引きによって完全に粉々にされた会話をご覧いただこう。
A.「少子高齢化によって、年金制度はこれから見直しを求められるかもしれないね」
B.「そうだね。例えば定年を引き上げるとか、政府も対策を始めようとしているよ」
A.「それでもまだまだ対策は不十分だと思う」
C.「そもそも、なんでこんな議論をしているんだろう?」
C.「そもそも、なんでこんなところに集まったんだろう?」
C.「そもそも、なんで我々は生まれてきたんだろう?」
C.「そもそも、なんで悲しみと喜びは我々を苦しませ続けるんだろう?」
C.「そもそも、なんで悲しみと喜びは我々を苦しませ続けるんだろう?」
C.「そもそも、なんで悲しみと喜びは我々を苦しませ続けるんだろう?」
C.「そもそも、なんで人の縁はあんなに切れやすいんだろう?」
C.「そもそも、なんで戦争はなくならないのだろう?」
C.「そもそも、なんで人は子孫を残し続けるのだろう?」
C.「そもそも、なんで万物は存在するのだろう?」
C.「そもそも、ねえ、なんで?」
三段論法に安らぎを!(その2)
前回の記事はこちらを参照していただきたい。
https://a10.hatenablog.jp/entry/2019/10/19/225846
さて、
前回の記事を要約すると
【三段論法に背もたれを!】
であったが、
今回は...
【三段論法を寝かしつける方法】
である。
まず、例のごとく三段論法をもう一度見ておこう
1.三段論法とは?
これは前回と同じ例ではあるが、
大前提:すべての人間は死ぬ。
小前提:ソクラテスは人間である。
結論:ゆえに、ソクラテスは死ぬ。
またソクラテスを殺してしまった!
図にすると、おなじみの
こういうふうになる。
2.どこを寝かしつけようか?
社会には三段論法を振りかざして、正論を云々する人が多い。コミュニケーションはもっと微妙なものなのに。
彼らのことを【ホモ・アリストン】と呼ぼう。
だから、三段論法には背もたれだけでなく、もはや少しおねんねしていただく必要があるのだ。
問題は、以下の2つくらいだ。
①どこに枕を置いてやるか?
②どこまで布団をかけるか?
では、早速見ていこう。
①どこに枕を置いてやるか?
以下のように三段論法を寝かしつけようとする人がいる。
これは、大きな間違いである。ただ何も考えずに寝かせたにすぎない。
ではどうすればいいのか?
結果から述べよう。「小前提」と「結論」の2箇所に置いてあげなければならない。
理由は簡単である。
この前見た、三段論法の健康診断の記録から明らかなのだ。
・・・・・健康診断結果・・・・・
大前提:500g
小前提:1500g
結論:2750g
ご覧の通り、小前提や結論が明らかに重くなっている。これはアプリオリの結果ではなく、三段論法の「利用方法」によるものだろう。
だから、このように枕を置いてあげよう。
ただし、「結論」はしばしば過激なものになるため、水枕にすべきであるようだ。
以上が枕の置き方である。
時間が来たようだ。アリストテレスと食事に行かなければならない。
布団の置き方は次回にまわそう!
三段論法に安らぎを!!!
空を飛ぶ方法の伝授
写真を撮るときに、寝転ぶ人もいるし変な顔をするやつもいる。僕は必ずジャンプして宙へ浮かぶようにしていた。
忘れっぽい人からは、
「君って空飛べたよね?昔の写真見てたら思い出したんだけどさ」と言われたことがある。
このことを利用して、空を飛ぶ方法をご紹介する。
【ゼノンのパラドクス】
〈飛ぶ矢は飛ばない〉
飛んでいる矢を想像しよう。その1コマ1コマをカメラで撮影したときのように切り取って考えることで、ゼノンは「飛ぶ矢は止まっている」と言った。クラウピデスは「飛ぶ矢はまあそこそこ速い」と言ったし、私は「撮影されたどの瞬間も飛ぶ矢は浮かんでいる」と言った。
では、こう言えるだろうか?
【私のパラドクス】
アルバムを引っ張りだそう。私の1枚1枚カメラで撮影したのを見ることができなかった故ゼノンの代わりに述べると、「私は常に浮かんでいる」。
もはやパラドクスでも何でもない...とすれば、単なる真理だ。
しかし、これは、【敗者のゲーム】である。
【敗者のゲーム】
同程度のそこそこの実力のはごいたプレイヤーを想像しよう。スマッシュを打つ実力もないから、ラリーが永遠に続いている...華々しい工夫、施策ではなく、少しのミスが勝負を決する。勝とうとするより、負けまいと努力する必要があるゲームを、敗者のゲームという。
つまり、1度のミスですべてがだめになる。隠し撮りされたら?そのときジャンプしそこねたら?敗者のゲームで闘うのはよそう!
勝者のゲームとするには、むしろ憲法の力を借りるべきだ。
〔基本的人権〕改正案
第11条 国民は,〈空中にいる限りにおいて〉すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の〈空中に浮かんでいる〉国民に与へられる。
〈〉内を加えることで、勝者のゲームになった...はずである。なぜなら、地上にいるときには日本国民として認められない。空中に浮かんでいないヤツに価値はない。たまにジャンプした瞬間、日本国民になり、自由落下するとともに国民性を失っていく...勝者のゲームだ!
なぜ自殺するゆきだるまは....
なぜ自殺するゆきだるまは、天に召されていくのだろうか?
子供よ、子供の髪飾りは、ふきのとうのように凍っていく...それは僕の公衆電話だ!受話器をごく当たり前の凡庸なやり方で持つと、電源が切れる。声の出口に口づけすると、聞こえるようになる。そうすれば、もう言葉に厚みなんてないし、あってもハムカツ程度のありがたみしかない。